某キャンプへ行った感想

先輩として、書かねばならないというと、どうしても偉そうですので、しがない戯言を。

私も某年のこの時期は、某キャンプの合格に浮かれていました。私は本当にすごいのかもしれない、なんて思いました。

誰からも褒められたんです。すごいものに行ける、すごいものを通した凄い人だって。

ただ、同じ過ちを誰かに繰り返されても悲しいものだと思いますので、書いておきます。

行けること自体は何もすごいわけでない。ということを明記しておきます。

調子に乗ってキャンプへ行った末路

私はすごいのだと思っていました。そんなノリで論語も読み続けていましたし、人としての基準はこれにしたいという目標は建てられて、本当に絶頂期みたいな気分になっていたように感じます。

努力もしました。頑張ったはずでした。

ただ、当日は何もうまく行きませんでした。すごいところなんてないし、凄さなんてどうすれば引き出されるのだろう。

自分は、何一つすごいことはなく、自分は何もできないのではないかというのを痛感しました。極論ですけどね。

ただ、実力不足は理解し、何が足りないのか、何が行けないのかは自分でわかるようになった気がします。

当日はもしかしたら、失礼なことを言い、失礼なものを言い、失礼なことをし続けていたように感じます。

でも、そんな中理解しました。

今までのやり方は通用しない。一流の人は主軸がある。それはもう、論語に通じる軸であるし、彼らは基本というものの地盤が凄まじい。これが本物なのだろう。
本物の人、というものとふれあい、自分がどうあるべきかは理解できました。それはもう凄まじい情報量で、末恐ろしかったです。

刺激が強すぎました。

それが起因から、某キャンプへ行った一ヶ月は廃人になりました。精神がおかしくなったんです。

廃人後に生還するまでの過程

「私は今までなぜあんな愚かな行為しかできていなかったのだ」
頭の中にはそれが敷き詰められてて、オリンピックの時期(もう隠すのはできなそうなので書きますが昨年です)なので、ぼーっと夜中ぶっ続けでレスリングを見続けていました。

無気力で、どんなにOS本とにらめっこしても、どんなにプログラミングしようとしてもやる気がなくなってしまい、何も手をつけられなくなりました。

レスリングやテニスのメダル確定をリアルタイムで見ていたときにふと、私はこんなことを思いました。

「私はあんな機会を与えられたのに、何故こんなに追い詰められているのだろう。彼らはあんなに自分を信じて世界まで出ているのに、私はちっぽけなコミュニティで過ごしているはずなのに、動くPOWERを持っていない。」

ただ、誰にも助けを求められるとは思いませんでしたから、どうしようもなくただただ悩み尽くしました。

考えられなくなり、言葉も曖昧になり、思考もしていても本質と理想と自分の間に挟まって抜けない。

なので、多分感想もおかしなものを送りましたね。ごめんなさい。

彼氏が丁度海外へ留学していましたから、彼氏を頼ることもできませんでしたし、何に悩んでいるのかもわからなくなりました。
(彼氏のせいではないよ、自分の不甲斐なさは理解してる)

ただ、留学から帰ってきた後の彼氏にいろんなことを教えてもらい、いろんなものに触れ、いろんな楽しいことをたくさん見ていき、人間としての何かを取り戻しました。

ただ、前と一つ違うのは、危機管理と本質を見抜く力をつけられたのではないかということです。

まだまだ未熟ですが。


最後になりますが、今回書いたときにシャープペンシルで書いた都合上、文字などが薄くなっているのでご了承ください。

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