私の経験談
某へ過去に行ったことは、自慢話になるのか?少なくとも私は自慢ではなく、恥ずかしい記憶であるという気持ちでいます。
(もちろん、行けたこと自体は恵まれていたということはわかっていますが、自分がそれほど実力もないのに、恥をさらしたのに、胸を張ることはできないという意味合いです)
私は、某の他の同期(少なくともtwitterでいろいろと言っている同期)とは違い、某は挫折経験としてとらえています。
(自分と同じ気持ちの同期には本当に失礼な言い方ですみません)
なぜなら、自分は今まで順風満帆に進んでいると勘違いしていたことすべてが虚像であることを理解できる経験だったからです。自分自身は、自分が思っている以上に愚かな存在であるということを、まざまざと見せつけられました。
某へ参加した際に強く思ったのは、自分が全然実力のない人間であるというのはわかりきっていましたが、実力のないにも2種類あることを確認しました。
一つ目に、セキュリティの知識、セキュリティ分野の実力というものがあまりにもないということ。大学のぬるま湯に浸かっていたということもありますが、それ以上に自分が自分自身の実力というものを過信していたのではないかということを理解しました。
(そして、某以降は自分はもっと実力をつけなければ、恥ずかしいものだ。今までの行いが恥ずかしいと思いました。)
そして、一番は自分が人間として必要な基礎力というものが足りないということを痛感したのが、某でした。漠然とした言い方をしていて、とても申し訳ないのでいかにリストアップしておきます。
- ものをみるための判断材料(基準)
- そもそもとしての教養
- 倫理観、道徳といったようなもの(これがない人は多いです)
- 柔軟さ
- 軸(自分は何でわくわくするのかという一本の道)
彼らが一流たるゆえんはこれらがあるからなのだろうという風に痛感しました。そして、私にはそれらが足りない。技術力よりも大切な、人としての地盤が足りないということが痛いほどわかりました。
そして、足りない部分を埋めない限り、自分は彼らみたいな面白い人たちと一緒にいる資格はないだろうということも自覚しました。
ただ、自分がそれを一日でふたをした・・・と漫画のほうに描いたのですが、理由があります。
自分には基礎力が足りない、それはわかっている。自分には実力も足りない。基礎力は環境に恵まれてさえいれば身についている人もいるのに、自分は今から基礎力なんてすごく愚かなことをしているのではないか。どっちも身に着けたい。どっちも頑張ろう・・・
どっちも頑張るということは、私はシングルタスクしかこなせないので、どっちつかずになるのは目に見えていたのですが、それができなかったのでした。
今から基礎なんてしていたら、おいて行かれるだろう、それはつらい。それは嫌だ。どうすればいいんだ、どうすれば・・・・・
今考えると10か月が本当にもったいない結論を出してしまいました。この結論は本当に愚かでしたが、愚かだと今思えているのですから、少しは成長した部分もあるのではないかと思っています。
それで慌てて、答えも見いだせないで月日は過ぎて、頑張り続けていたら、ついにゼミ選びになって何も答えが出ていないのに、配属も決定したというのが、前回までのあらすじです。
そこで、昨日私を変える出来事がありました。
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